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守山商工会議所青年部
邪馬台国近江説特別委員会
平成23年4月発足
「卑弥呼」が治めた「邪馬台国」が守山市の「伊勢遺跡」を中心ににあったという「邪馬台国近江説」のPRを手がかりに地域活性化に繋げるべく、「邪馬台国近江説特別委員会」を立ち上げました。地域活性化へむけ、さまざまな事業を企画・実行していきます。
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Posted by 滋賀咲くブログ at

2011年08月03日

伊勢遺跡と邪馬台国その2

伊勢遺跡を語る前にまず
銅鐸のお話をしなければなりません。
ちょっと我慢して読んで下さいね。

 明治14年(1881)野洲町大岩山に遊びに来ていた14歳と16歳の少年が
銅鐸を見つけました。この時発見された銅鐸の数14個。その後時代を
経て昭和 37年、小篠原地先(こしのはらちさき)の東海道新幹線の土
取工事現場から、計10個の銅鐸が発見されます。これで合計24個の銅
鐸が出たことになります。この銅鐸は野洲市の「野洲町立歴史民俗資
料館」
に展示されています。



あまりにも銅鐸が多く展示されていることから「銅鐸博物館」とも
呼ばれる。


日本一の大きさを誇る銅鐸もここで発見されました。

日本一最長の銅鐸、なんと134.7㎝


この大岩山で発見された銅鐸にはひとつの特徴がみられます。

近畿地方以西で造られた近畿式銅鐸



東海地方で造られた三遠(さんえん)式銅鐸

がここで同時に発見されています。

近畿式銅鐸

上部に渦巻き状の飾りがついています。


三遠(さんえん)式銅鐸

飾りがついていません。



当時、銅鐸は日本の各地にあった小国のシンボルで
あったといいます。

各地域で特徴を持っていた様々な銅鐸が
ここ、大岩山で同時に見つかっています。

同時に・・・・

同時に発見される例は日本中のどこをみても
ここだけだといいます。

どういう意味があるのでしょう?


2~3世紀、日本国内では小国間どうしでの
争いが絶えませんでした。

ある時、争っていた国々がここに一同に集まり
自国のシンボルである銅鐸を埋め、
何らかの儀式が行われた。

弥生時代、銅鐸が埋められた時の想像図(野洲銅鐸博物館)


つまり国々の争いが収まり、連合国家を造る動きが
ここであったのではないかという推測がつきます。

日本建国神話を記した「古事記」や「日本書紀」でよく出てくる
八百万神(やおよろずのかみ)

八百万神が当時の日本各地の首長だったのでは?
という、想像も膨らみます。

この八百万の神が一同に会した場所は
そう、天安河(あまのやすかわ)

あまのやすかわ・・・

やすかわ・・

野洲川!

当時、野洲あたりを支配していた豪族は

安(やす)氏

う~~ん、

いろいろなキーワードが一致してきますね。
(無理やりだ!っという意見も受け入れます)

そして、ここから10キロほど離れた
野洲川のほとりに
伊勢遺跡があります。

そう、

30棟の建物を円形に配した伊勢遺跡。
詳しくはこちらへ
「伊勢遺跡と邪馬台国」


何ら関係があってもおかしくはありません。

今度こそ、その30棟の謎に迫ります。  

Posted by himico at 13:01Comments(0)近江説