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守山商工会議所青年部
邪馬台国近江説特別委員会
平成23年4月発足
「卑弥呼」が治めた「邪馬台国」が守山市の「伊勢遺跡」を中心ににあったという「邪馬台国近江説」のPRを手がかりに地域活性化に繋げるべく、「邪馬台国近江説特別委員会」を立ち上げました。地域活性化へむけ、さまざまな事業を企画・実行していきます。
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2011年07月21日

伊勢遺跡と邪馬台国

昭和56年(1981年)、滋賀県守山市伊勢町、阿村町、
栗東市野尻にかけて、大きな弥生時代の遺跡がある
ことがわかりました。

伊勢遺跡と邪馬台国
伊勢遺跡全景         守山市提供

その後、平成19年3月までに
実施した発掘調査で、伊勢遺跡は東西約700m、南北
約450mの楕円形状に形成されていることが判明。

発掘していくといくつもの建物跡らしき形跡が発見されます。

伊勢遺跡と邪馬台国
建物が建っていたであろう柱の跡          守山市提供

復元するとこんな感じの建物
伊勢遺跡と邪馬台国
                   MKデザイン提供      

2本の棟持柱(むなもちはしら)(妻側の出っ張った大きな屋根を支える柱)
と12本の柱で支えられた高床式の特徴ある建物。
これを神明造(しんめいづくり)といいます。

どこかで見たことないですか?

そうです。お伊勢さん、伊勢神宮です。
伊勢遺跡と邪馬台国
伊勢神宮の本殿(ここは天皇陛下ですら立ち入ることができません)
と全くといっていいほど造りが同じだそうです。

そんな建物がここで6棟も発掘されています。

6棟です。

しかもそれが円形

伊勢遺跡と邪馬台国
                  守山市提供(赤色の部分が発掘された場所)

円形の真ん中には
「居処、宮殿、楼観、城柵」らしき
跡が見つかっています。

復元するとこんな感じ
伊勢遺跡と邪馬台国
                                 大上直樹氏提供  

ちょっと話戻します。

先程の神明造りの建物の並び方には
一定の法則があることがわかりました。

なんと全て8度のズレを保ちながら
一定の距離を保って
建物が並んでいるとのこと。

そう考えると
30棟の神明造りの建物が
真ん中の「居処、宮殿、楼観、城柵」を
円形に囲むように配置されるそうです。こんな感じ
伊勢遺跡と邪馬台国
                                   MKデザイン提供

円形に・・・・

円形

考古学上、円形に配置される建物群って日本では見つかっていないそうです。

ましてや、

世界中でもほとんど稀なケースだといいます。

だとしたら

円形にしなければならない何らかの理由があったはず。。


方形(四角形)配置には絶対的な身分の格差や
主従関係が表れているといわれます。

円形配置には、身分や上下関係、強弱関係は無し。
つまり、お互いすべて同じだよ、という意味が
こめられているとのこと。

当時、身分関係を和らげなければならない
何かの力がここにあったに違いない。

よ~く考えてください。

こんな大昔に8度とか円形とか
そんな高度な技術を駆使するなんて
よっぽどの力がなければ
そんなめんどくさいことはしないでしょう。

そう、なにか強大な力があったことを
伊勢遺跡は物語っています。

そして、円形に並んだ30棟の建物


この30棟の謎に次回は迫ります。


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Posted by himico at 00:41│Comments(0)近江説
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